1903年。人類初の動力飛行がアメリカのライト兄弟の手によって達成された。その後の航空機の技術発展はヨーロッパ諸国が牽引し、1910年には金属製航空機が登場、1940年代にはジェットエンジンが搭載された。そして、1970年代には航空機が、市井の人が日常生活で利用するまでに身近なものへとなった。航空機120年の歴史である。その歴史を紡ぐ一役を担っている会社がある。埼玉県に本社を置き、長崎県は東彼杵町に長崎工場を有する『株式会社ウラノ』である。
「もともと、この地へ来た目的は航空機の部品の量産でした。2006年から始まった新型機の開発で来て、人も工場もスペースが必要ということで…」と話すのは、長崎工場を取り仕切る副社長の小林正樹さんだ。
小林「わたしたちは、航空機の機体やエンジンの部品を製造しています。部品と言っても安全上に大きく関わっているため、品質を保証するうえでは、様々な試験や検査を行う必要があり、それだけに、求められるハードルは高いです」
航空機部品を作ることができる企業は、国内でも少ないという。
「航空機の産業は、承認が非常に厳しい世界です。私たちが部品を提供すると、機体が運航している間の品質をずっと保証しなければならないので。だいたい、20〜25年の品質保証が必要になります。ですから、今飛んでいる飛行機が万が一墜落した場合、エビデンスを出せと命じられればすぐに出せるようにしておかなければなりません。また、『認証』というのがあって、個々の工場で作って良いという認証のレベルは高く、それを得るためには人も、お金も、時間も。ハードルはものすごく高いです。積み重ねが重要視されます。異物混入といった製品の取り違えで大変な事故に繋がるので、そういったところが厳しいのは当たり前ですよね。この工場だけでも、ものすごい金額ですが(笑)、お金の面だけではなく新たに参入しようと思っても、なかなかできない業界です」
ここで、ひとつ豆知識として航空業界の実情を教えていただいた。
「ジェット機の燃料の基礎的成分は、主に灯油です。例えば、200人乗りの飛行機だと1分間に使う灯油の量は約80ℓ。長崎空港から羽田空港まで90分かかったとして…7200ℓですよね。2時間のフライトだと、燃料代だけで100万円くらいかかります。それを、両羽とお腹に積むわけです」
だが、これからは環境問題も相まってスマート化社会の時代へと突き進むことだろう。科学技術の発展に伴い、どの業界でもどんどん効率化が押し進められている。人間を運ぶ乗り物もまた、ダウンサイジングが求められている。
「これからは、小型機で海外まで行けるような時代になってくるかもしれませんね」
株式会社ウラノが、長崎県の企業誘致で東彼杵町に工場を構えたのが2006年。軌道に乗ってきた矢先に、コロナ禍の社会情勢になってしまった。
「飛行機が飛ばないことには、航空会社も飛行機の更新や新型機への買い替えなどは行いません。飛行機の寿命は、だいたいフライト時間でのカウントなので、1〜2年飛ばないと、更新もそれだけ滞ってしまいます。コロナ禍ではほぼ飛ぶことはなかったのですが、これから情勢が少しずつ落ち着いてくれば少し盛り返してくるのかなと思います」
航空業界が苦しい中、現在ウラノの生産を支えているのが半導体製造装置事業だ。部品を作るようになったのは3年ほど前からだという。
「本社の方ではずっとやってきたことですが、長崎工場での半導体製造装置の歴史はまだ浅いです。これまでは9割が航空機部品の製造がメインだったのですが、コロナ禍で渡航制限が出始めてから逆転し、今は8割が半導体の製造装置がメインになっています。このような未曾有の出来事に陥った場合に、リスク分散を考える必要がありますが、弊社ではメインを他の産業へとシフトできたのが救いでした」
見たことがないという人が多数だろうが、実は多くの電化製品や交通、通信などの社会インフラを支えている、我々の暮らしに欠かせない存在となっているのが半導体だ。
「なかなか想像できないと思いますが、半導体というのは機器に記憶させたり計算させるために必要なもので、私たちの身近にあるスマートフォンなど、あらゆる電子機器の中に入っています。人間社会における重要な部品のひとつなので、私たちも日々高品質な半導体製造装置を製造し続けています」
世界規模でのキーパーツと言っても、過言ではない半導体。その大切な産業の一部を、日本の、それも長崎県内にある株式会社ウラノが担っている。そして、記者の目の前で今まさに製造が行われていると思うと、なんとも感慨深い。
『地域未来牽引企業』なるものがある。経済産業省により選定された、地域経済の中心的な担い手となりうる事業者を指すのだが、ウラノは長崎県の成功事例として表彰された経緯がある。
「今から4年ほど前、長崎県が宇宙航空産業を育成しようと知事の先導のもと県の産業づくりを始めました。その中で、様々な県の企業と連携して航空機の一貫生産を行うことで、九州各地に仕事を生み出す活動をやっていて。私たちのサプライチェーンというのは、もともと造船をやっている会社と手を組むところから始まっています。長崎って造船の街で技術はもともと高かったんですが、中国や韓国の企業に押されて造船業が衰退していき仕事が難しくなってきた。そういうところと一緒に連携して航空の仕事を取りましょうというのが本来の目的でした」
日本では、航空機産業クラスターというのが全国50ヶ所くらいあるが、それまであまり目立った成功事例がなかった。そんな中で、”造船の技術を航空へ活かす”取り組みから始まった事業は、次第に九州圏で仕事を共同受注できるようになり、様々な技術が生まれていった。
「長崎県は日本でも数少ない造船を作る板金や溶接、組み立て、塗装の技術などが強い県です。ものづくりへのポテンシャルはあるんですが、産業が薄い。それを強化するために地道に努力を重ねていった結果、日本全国でも珍しい成功事例として6年前に経済産業省から取り上げられて表彰を受けました。それを皮切りに、三菱重工の航空エンジンの会社が名古屋から長崎へ誘致されたりと、さらに長崎県内の航空機産業が盛り上がりを見せています」
活動自体が認められるまでが長く、お金や時間もかかったという。自分たちのやることが未来に繋がるという気持ちがあったから、続けてこられた。
「みんなが一丸となってやってくれたのが大きいですよね。5年、10年先を見据えてくれたので、それが良かったのかなと。自分たちだけの利益にしてしまうと、技術の囲い込みなど起こってしまう。手厚くサポートしてくれる会社が多く、”人に恵まれた”と思います。県も人材や企業を育成すべく様々な企業を紹介してくれて、補助金なども他県に比べると取りやすいのかなと。新しく完成した工場も、長崎県と経済産業省から採択いただいた補助金で建設することができました」
2022年の8月までに設備を整えた後、工場内を機械が走り回ることになる。航空機産業界では珍しい、極力人を排したシステムらしい。この地で、最新鋭の飛行機の部品が日夜作られ、出荷されていくことを考えると考え深い。まるで、池井戸潤氏が書く物語を目の前で見ているようだ。
「『下町ロケット』なんかは、見ていると胃が痛くなります。職業病なんでしょうね(笑)」
我々が航空機を日常的に利用できているということは、それまでの歴史の中で目まぐるしく技術が発展していったということだ。そして、航空機技術は今後もますます発展を遂げていくことだろう。近い将来、太陽電池ジェットや空飛ぶ車に乗る日が来るかもしれない。その発展に携わる会社が長崎県にあると思うと、俄然興味が湧いてくる。航空業界が、今後どのように変わっていくのか。ミクロからマクロまで、幅広い分野での製造を手掛ける金属加工のプロフェッショナル集団·URANOの動向から、目が離せない。