ざざざ、と竜頭泉の流水の音が流れる厨房内。
ここは、千綿の雄大な自然のなか味わえる鯉とうなぎとすっぽん専門店「龍頭泉荘」。初代と、二代目となる田中英夫さんで60年ものあいだ守られてきた、東彼杵の名店だ。
全国から多くのファンが訪れるその魅力は、豊かな自然が育んだ新鮮な味とこだわりの調理法、渓流を望む静かなロケーションに加え、田中さん一家の温かい人柄にある。
「よし」
英夫さんは、まるで芸術品のように美しい鯉のあらいが盛り付けられた一皿を静かにカウンターに置く。娘さんは静かに受け取ると、それを心待ちにしているお客さんのもとへ届ける。これもまた、日常の1コマだ。
田中さん一家は、初代からのバトンをどのように受け継ぎ今に至るのか。
さいとう宿場の女将・晶子さんをインタビュアーに、まるで親戚の集まりのような和気あいあいとした雰囲気の中お話を伺った。
二代目の田中英夫さんは昭和26年川棚町生まれ、5人兄弟の末っ子。自他共に認める愛されキャラだ。
英夫さんの父親はもともと東京で蕎麦屋をしており、戦後に縁あって川棚へ移住して製麺業を開いていた。そのことから、英夫さんの日常は生まれた時から家業とともにあった。
経営も軌道に乗り、英夫さんの両親は川棚駅近くに「田中屋食堂」をオープン。お客さんの胃袋を美味しい料理で満たしながら、学校給食や病院食などへ麺を卸していた。
中学から高校のはじめくらいまではバレーボール部に所属していた。
英夫「バレーを選んだ理由? 背が高かったからね」
女性陣「自虐……(笑)」う~ん、とても愛されているのがわかる。
英夫さんは、1つ上の兄とともに店を支えながら多忙な学生生活を送ったという。なんと昔懐かしの9人制の時代。ポジションは中衛。背が小さくてもOKなポジションだと話していたが、チームの要というとても大切な役割だ。
当時キャプテンを務めていた英夫さんは、オリンピックの聖火リレーの伴走者に抜擢された経験も。
英夫「でもねえ、そのとき着たシャツが、ダサかったんよ。記念に取ってはいるけど……」
栄子「生地は良かったよ、生地は!」
すかさず、妻の栄子さんのナイスフォローが飛んでくる。
高校に進学してからもバレー部は続けた。「一学期ぐらいまでは部活をやって、あとは出前クラブ(食堂の出前のお手伝い)よ」と、冗談を交えつつ英夫さんは笑う。
20歳の頃、家族を支え続けてくれた両親がとうとう倒れてしまう。製麺業は廃業、食堂は英夫さんの1つ上の兄にバトンが渡された。彼はフットワークの軽さと抜群の行動力で、どんどん道を切り開いていった。
英夫「兄貴はすすす、となんでもしてしまうから、こっちは付いていくのに精いっぱいだった」
従業員を雇用しつつ、寿司屋、宴会場「陽花亭」、海水浴場から美術館にまで事業を広げた。田中屋食堂の屋上にビアガーデンを開き、当時川棚では初といわれた生け簀を持った。
その後、英夫さんは栄子さんとめでたく結婚。
佐賀県嬉野市生まれの栄子さんの実家は焼き鳥屋。上の姉に続いて滋賀県の短大へ進学した。昼間はアルバイト、夜は仕事という生活だった。晴れて卒業し、就職のため地元に帰っていた際、たまたま店の常連だった英夫さんと出会う。
栄子「結婚する前にイセエビ食べに連れて行ってもらったんだけど、それでまんまと釣られちゃったね」と微笑む。
日本随一の温泉街である嬉野は、昼も夜もとにかく賑わう街だった。その喧騒から離れたい気持ちが栄子さんにはあったものの、嫁ぎ先である川棚町中心部もまた、夜になるとスナックの灯りがともりカラオケの音が響き合う繁華街だった。
しばらくして、「龍頭泉荘」の初代が跡継ぎを探しているとの知らせが田中家に舞い込んだ。田中家は、繁華街とは対照的な、静かな大自然の中へと拠点を移すことになる。
英夫「兄貴は『龍頭泉荘』が大好きだったから、なんとしても跡を継ぎたいと申し出て、そこからトントン拍子で話が進んだ。ちょうど先代からお店を託されたのは長崎大水害のときだったかな」
――建物は大丈夫だったんですか。
英夫「まったく」
栄子「このまんま」
英夫「いっしょ」
すごく息がぴったりなお二人である。縁起物の象徴でもある鯉が二匹、仲良く泳いでいる姿が脳裏に浮かんだ。
引き継いだ当時、20年続いた「龍頭泉荘」は全国からも多く人が訪れる東彼杵の名店。客足が途絶えることはなかった。英夫さん兄弟、そして栄子さんの家族三人と従業員で、他の店舗も掛け持ちしながら懸命に営業をこなした。
これまでとは180度違う環境下での生活について伺うと、
・飲みにも行けない、衛星放送しか映らんので観る番組が限られる
・静かすぎて逆に眠れなかったからラジオかけて寝てた
・雷が鳴ったら地面から響いてくる感じ
・川の音がずっとするからそれが気になることもある
・『となりのトトロ』で、どんぐりがゴロゴロ落ちる音が聞こえるシーン、まさにあれを体験しました。木の実が落ちる音が聞こえるほど静か
など、ここでの暮らし特有のネタがたくさん飛んできた。なによりその生活を楽しんでいるようすが伺えて、とてもほっこりする。それは「今となっては、ここじゃないと全然眠れないのよ」の言葉にあらわれていた。
夏は、避暑地ともいえるこの環境に魅せられさらに多くの客で賑わった。2~3時間待ちは当たり前だったという。店に続く道は渋滞し、交通整理も必要なほどだった。
やがて英夫さんと栄子さんは、長女の泉穂さん、次女のあゆみさん二人の子宝に恵まれる。
千綿の自然の恵みをいっぱい受けながら健やかに育った彼女たちはまさに店の看板娘。料理を心待ちにするお客さんと接することも多かったそう。
泉穂「接客というか、逆にわたしたちが面倒見てもらってた感じですよ」
泉穂「テスト勉強よりも、いま忙しいけんお願い手伝って! って親から言われてましたよ。まあ、勉強もそんなにしてなかったからよかったんだけど」
常連のお客さんたちに見守られながらの子ども時代を過ごし、中学生からは店の手伝いもするようになったという。お客さんとの会話に参加しつつ、ビールを引きずりながら運んだり、柱に登ってみたりしての大活躍だった。
あゆみ「私たちが『おっちゃんあれ持ってきてー!』とか話しかけてた人が、実はものすごい人だったりして。昭和の人が聞いたらびっくりするような」
ときには、テレビの取材はもちろん、歌手や俳優、落語家など各界の著名人もお忍びでやってくることもあったそう。知らず知らずのうちにあんな大物さんとお話していたなんてこともしょっちゅう。
ある日、インドの方が「龍頭泉荘」を訪れ住み込みで働き、その期間中だけは本格インド料理がお店のテーブルに並んだり。それに伴い「ナマステ」を覚えたり。
のどかな自然の中で繰り広げられる刺激的な毎日だ。
高校卒業後はそれぞれの進路を歩んだ二人だが、偶然にも選んだ道は飲食業界だった。さまざまなジャンルの料理やスイーツの経験を積み、20代も後半にさしかかった。いまから7年前、次なるステップへ歩もうとしていたタイミングでのこと。
「龍頭泉荘」経営の柱でもあった、英夫さんの兄が突然の不幸に見舞われてしまったのである。
訃報に悲しむ間もなく、娘たち二人はお店の手伝いのため遠くから駆け付けた。本来、お葬式をしなければならないタイミングで宴会の予約が入ってしまったからだ。
お葬式を進めながら仕入れをし、宴会のお客さんを迎え入れる準備をするという、想像を絶するような忙しさを家族一丸となって乗り越えた。
「そんなわけで、このお店に戻ってきたのはなりゆきなんです。たいそうな意思があってとか、そういうわけではなくて」とはにかむ二人だが、両親にとって、彼女たちの存在がどれほどたくましく、その成長を実感できたものだろうか。想像してみただけで胸が熱くなる。
英夫さんの兄が急逝し、英夫さん、妻の栄子さん、長女の泉穂さん、次女のあゆみさんの4人体制がスタートした。客足も途絶えず嬉しい悲鳴だったが、とにかく落ち着かない日々が続いた。
コロナ禍以前は、同じく経営をしていた「陽花亭」でも宴会の予約が頻繁に入った。4人はスタッフやヘルプにフォローしてもらいながら、2店舗を回していった。
「龍頭泉荘」は、自然がおおいに活きる夏。「陽花亭」は、忘新年会の需要で冬と、それぞれ繁忙期が異なっていたのがせめてもの救いだった。どれほど目の回るような忙しさだっただろう。
現在は、鯉とうなぎとすっぽん料理専門で数々のメニューを打ち出しているが、刺身や煮物、唐揚げなどそれぞれ作り手が違うところがおもしろい。
仕入れは英夫さんがほとんどを担当。その日のメニューを決めるのは泉穂さんだ。時に喧嘩もしながら、よりよい味をお客さんに提供しようと日々奮闘している。
泉穂「コロナ禍の前後で、大皿での提供ができなかったりと料理の出し方も変わってきた。なので新しいメニューも考えなきゃって」
これまで飲食業界で経験を積んできた泉穂さんとあゆみさんは、鯉のポテンシャルをさらに引き出すためいろいろとチャレンジ中だ。
例えば、鯉料理では、薄造りにした身を水で洗い氷水でしめた「鯉あらい」が代表的だが、刺身の状態でも鯉本来の旨味と甘みが凝縮されていてとてもおいしいという。
また、“もっと東彼杵を盛り上げるきっかけになれば”と鯉をフライにしたご当地バーガーも試作中とのこと。これがまたおいしいんですよ、と姉妹は顔をほころばせる。
「料理では特に頼りにしている。娘たちには本当に感謝しています」と、英夫さんと栄子さんは日頃の感謝を改めて口にした。
英夫「それぞれに大切な役割があるから、誰かが一人でも欠けたら困る。どうか健康でいてほしい」
お客さんをおもてなしする毎日のなかで刻まれていく家族の想い出。お客さんたちとの想い出もまた、家族共有のものだ。それらは四季の移ろいとともに優しく、しっかりと「龍頭泉荘」にその色をおとしていく。
いままでも、そしてこれからも変わらないこの場所で。受け継がれた味を守りながら、新しいチャレンジもしていく田中さん一家の経営スタイルは、まさに家族の営みそのものであるように感じた。
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