東彼杵町といえば、お茶の町。そのぎ茶は、今や全国で知られる銘茶である。そんな東彼杵町にお茶屋は数あれど、インターネットやSNSを巧みに使いこなして発信したり、お茶の楽しみ方を伝え、興味を抱かせることに注力するお茶屋は珍しい。『まるせい酒井製茶』は、その先陣を切っているお茶屋だ。3代目となる酒井祐志さんは、父の敏幸さんと一緒に茶商としてお茶作りをしながら、新しいお茶屋としてのあり方を模索している。
東彼杵町の茶農家、5人兄弟の三男として生まれ育った。後を引き継ぐ意思は、いつごろ芽生えたのだろうか。
酒井「自分が子どもの時は、お茶屋になろうとは一切考えていませんでした。昔は、袋にお茶を詰めるのを手伝うくらいで、それよりも工場内で兄弟たちと遊んでいる記憶の方が多いです。子どもの頃の夢も、消防隊員。あまり将来に対する夢もなかったです。高校に通っている頃は、まずは長崎県から外に出てみたいという思いがありました。ですが、卒業を控える頃になると、なぜか県内の企業で良さそうなところに入ろうという思いで探し、『株式会社たらみ』に卒業後すぐに入社しました」
果実を使用したゼリー、ヨーグルトが主力製品として知られるたらみは、長崎県長崎市に本社を置く製菓メーカーだ。2000年から2014年までの間、ずっと働き続けてきた。
「諫早の寮に住み始め、結婚してからは長崎市の方に移り住みました。段々と仕事にも慣れ昇進していたのですが、当時は労働基準も厳しくなかった時代で、マネージャークラスになると残業も多く、体ももたなくなってくるような状況でした。そんな折に、父が還暦を過ぎてくると後継者がいないという問題が浮上してきました。まだ、工場の機械は使えるのに今止めるのは勿体ないし、お得意さんも多くいる。自分の身体のこと、家業や家族のこと。色々と考えた末に、自分が後を継ごうと思うようになりました」
他の4人の兄弟と、腹を割って話をした。誰も継ぐ意思はなかったから、自分がやると決めた。
「男5人兄弟で、私は真ん中。3人は公務員で、私と次男が一般職。他の兄弟を辞めさせるよりも、自分が入った方が良いと。兄弟の中で誰かが継がないといけないという想いは各自あったと思います。いざ継ぐと、みんなからは陰ながら応援すると言ってもらい、色々と支援もしてもらっています。退職し、家業を継いだのが2015年。今年で7年目になります」
脱サラをして7年。家業とはいえど、イチからお茶を知り、経営を知っていく中で苦労した部分は多かった。
「今まで会社員だったので、上から指示された作業をみんなで分担してやっていけばよかったのですが、自営業となると自分で物を販売しないといけないし、販路も拡大させないといけない。ましてや、今まで配達も行ったことがなかったんで、外回りをして顔を合わせて営業するという慣れない仕事に苦戦することはありました」
仕事を覚えるのと同時に、自分にしかできないことにもどんどん挑戦していった。
「一番は、店の営業先を見つけること。そして、県外の人にも酒井製茶を知ってほしい思いで取り組みました。例えば、これまでホームページを作っておらず、父や母もパソコンできないので、その作成も行いました。新たなお得意さんを作り、自分の販路を拡大させていく。そうして、各方面からできるだけ出荷できるような体制をとっていきました。いろんな方面で基盤を作っていかなければならず、慣れるまでには4年ほどかかりました。経理も覚えて。1個1個課題を片付けていき、5年目からはインターネットの構築やインスタやTwitterといったSNSも定期的に更新するようにして、発信することも工夫を重ねていきました」
発信を続ける上で、わかってきたことがあるという。
「彼杵は、Twitterをやっている人が少ないです。製茶業でも、その他業種でも、個人では持っていても企業や店でやっているところをあまり見かけません。同じSNSツールでもインスタグラムによる発信は主流になってきていますが、拡散力ではインスタグラムよりTwitterの方が遥かに上だと感じます。キャンペーンなんかも行いやすい。兄弟の助けを受けながら、独学でなんとか覚えていきました。Twitterで全国各地のご縁があった方からも、ホームページ上のアドバイスをいただけたり。いろんな業種の方達と繋がることで、今後の可能性の広がりを感じることができます。そして、費用をかけなくて良いところは全くかけなくても良いという(笑)」
畑違いのところから来ても、周りの力を借りながら、自分で販路拡大を成してきた。家業を継ぐつもりも、夢もないと語っていたが、それなりに自分の色を出しながらうまくやれている。その行動の源はどこからくるのだろうか。
「性格は優柔不断です。普段の生活でも、かなり悩みます。多分お茶屋でも別れるのですが、お茶のあり方、方向性にもそういう性格が出てくると思います。例えば、父と私の意見が合わないことがあります。私はいろんな品種を取り扱いたいと思っていて、少し味など路線変更してでも新しい酒井製茶というブランドを立ち上げていきたい。でも、父はお得意様あっての酒井製茶だから今の味を崩したくない」
柔軟性を持って状況の変化にも備えるのか、これまでの逸品を信じて勝負し続けるのか。どの業界でも起こり得る、今後の行く末が大きく変わる岐路と言えるほどの問いである。
「確かに、今までの味のバランスを一気に変えてしまえば、今までのお客さんもついてこなくなる可能性も高いです。ですが、このままのやり方を続けていても、長く続けてはいけないと思います。今の味を知る高齢者も今後は減っていくので、その子孫に買われ続けたとしてもどこかで区切りをつけないといけない」
親子で意見がぶつかり合い、時に悩み、考えた末に出したひとつの結論がある。
「今の味を求めているお客さんも多いので、味はそのままでいく。ただ、私は私で違うことにチャレンジをしようと決めました。味は決まっているのですが、お茶の淹れ方、茶器、焙じといったいろんなお茶の楽しみ方を提案し、伝える方に回りたい。リーフを飲まない人が増えてきた中で、どうやってリーフに興味を持たせるか。導線作りを考えていかないといけません。そのためには、インスタグラムなどでご縁があった方達のところに直接出向いて、挨拶をするように極力心がけています。お茶屋だけでなくスイーツといった別業種の方でも、対面すると意気投合もしてくれるし、うちの商品を買って宣伝もしてくれます。逆に、私も向こうの商品を買って宣伝して、そうした”win-win”な形を作っていければと思います」
新しいことに挑戦する。挑戦しなければならない。そんな、突き動かされる思いがある。
「今まで通りの経営をしていっても、多分お客さんは離れていく一方だと思います。例えば、お茶は今でも冠婚葬祭で使われることが多いんですが、それだけに頼っていても不安定です。全てが大きく変わっていく時代なので、今後はお茶からコーヒーにシフトしていくのも十分に考えられます。どこの業界でも同じではないでしょうか。それならば、減っていく分をどう挽回するか。今からでも、若い世代にもウケてリーフに興味を持ってもらえるような仕掛けを作りたい。そうして、面白いパッケージデザインにもチャレンジしたりしています。こういった発信がきっかけで、私のところだけでなく全国のお茶に興味を持ってもらえればそれに越したことはありません」
今では、茶商ならではの仕事のやりがいやお茶屋としての楽しみも見つけられた。
「みなさんに飲んでもらえるようなお茶作りと、新しい商品作りが茶商の醍醐味です。茶農家とはまた違った、お茶の提供の仕方を消費者に伝えられるというのが茶商の役目であり面白さかなと思います。前は、茶農家と茶商は完全に分かれていたのですが、今は農家も独自にお茶を広めらる時代。自園で作ったものをそのまま販売できる一貫性は強みですよね。その流れにおいて、茶商のランクが下がってきているかとも思うのですが、自分達はいろんなお茶をブレンドする。これは、農家の方にはできないことです。いろんな農家のお茶を仕入れてブレンドし、独自の味を出すにはどうすればよいか。その違いをわかってもらうために、動く。それを伝えられるのが1番の楽しみですね」